MSRA/MSRインターンの個人的な思い出

Yusuke Sugano
Dec 20, 2020

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Microsoft Research Internship アルムナイ Advent Calendar 2020 21日目の記事です)

東京大学生産技術研究所で准教授をしている菅野といいます(詳細は個人ページ菅野研究室ウェブサイトなどをご覧ください)。インターンノウハウ、Tips的なものはそもそも今回のアドベントカレンダーに限らずいろいろな所ですでに語られ尽くしていると思いますし、そういう実用的な内容はどう考えても最近の人に聞くのが良いので、シニア寄りの自分は完全に主観的な思い出に振り切った話をします。

当時のMSRA

Microsoft Research Asiaでのインターンに参加したのは2007年から2008年にかけてという大昔の話で、当時D1だった僕がインターンに応募したのは2007年の夏に広島で開催されたMIRU 2007に招待講演者として参加していた当時Microsoft、現阪大の松下康之先生に会ったのがきっかけだったはずです。確か飲みの席でインターンの話を聞き、その後改めてCVなどを送って正式に応募した結果決まったのは、リオデジャネイロで開催されたICCV 2007(の併設ワークショップ)から帰国後中2日で北京に発つという、海外経験の乏しい学生には強烈なスケジュールでした。広島から北京まで3ヶ月弱、それまで自分にはあまり関係のない話だと思っていた海外インターンの世界に突然放り込まれることになった訳です。この時の自分は英語力、特にオーラルコミュニケーションにかなりの不安を抱えていたため、インターンが決まった時点で必死でシャドーイングの練習をするなどしていたのですが、今振り返ると正直インターン開始時点ではまだ全然ボロボロだったし、その後インターンや博士生活の中で英語力は劇的に向上したのでその辺は学生の皆さんも最初はあまり心配せずに飛び込んだ方が良いです。

本題とは全く関係ないリオデジャネイロの様子

本来金曜の昼に北京についてまずMSRAに向かう手筈だったのですが、スモッグが濃すぎて北京空港に着陸できず青島空港で延々と足止めを食らい、ようやく北京に到着したのが金曜の夜。なんとか直接指定されていたホテルに辿り着いたもののフロントスタッフはほとんど英語が通じない、というのがインターン生活最初の洗礼でした。もしかすると今の北京だとこういう問題はほとんど起こらないのかもしれないですが、2007年というのはまだスマートフォン前夜、初代iPhoneが発売されたばかりの年で、生活様式が今とは根本的に異なるのです。その後ポスドクとして2年半滞在したドイツ語よりも中国語の方がまだわかるという自覚があり(ドイツ時代に同僚と良く行っていた英語の通じない中華料理店で中国語でオーダーする、というくだりが定番化していた)、これに関しては街中での英語話者数の差に加えて、ドイツ滞在時には翻訳ツールが発達していたことが非常に大きい。特に教員としては改めて中国語を習得したら色々便利なんじゃないかとは思いつつなかなか重い腰が上がらなかったりして、やはり英語も含め言語習得にはコミュニケーションの必要に駆られることが重要であるというのがよくわかります。

まだ建設中のCCTVビル

インターンは約5ヶ月後のECCV 2008の締め切りを目標に据えて始まりました。ただ、最初に取り組んだテーマはどうにもうまく行かなさそうなことがわかったため、2ヶ月ほどが経過した頃に完全にテーマを切り替えています。実質3ヶ月弱でゼロから論文を完成させることになったので、さすがに大変ではありました。ここで視線推定というテーマに取り組むことになったのはインターンの件とは全く独立に、博士指導教官である佐藤洋一先生と以前からお世話になっていた現東工大の小池英樹先生が共同で視線推定に関するCORE連携研究プログラムを走らせていたからでもあって、完全に偶然の産物ではあるのですが、結果的にその後10年以上視線というテーマにほとんどライフワークのように向き合うことになりました。最後の方は比喩ではなく本当に3時間睡眠で一週間乗り切るぐらいの勢いで論文を投稿したのですが、これが結果的に無事採択されたのもあって良い思い出になっていますし、この成功体験は間違いなくその後の研究者人生の礎になっていると思います。その後時が経ち、今では3ヶ月あれば論文は書けるから気合入れて頑張ろう、などと学生に軽口を叩く教員になってしまいましたが(つまり今からICCV/UISTは全然間に合う、ということですね😉)。

北京オリンピック関連施設も絶賛建築中だった

インターン中はひたすら実装とディスカッションと実験と執筆を繰り返していた、というか、単純に昔すぎてインターン生活の詳細はあまり覚えていないのですが(なんかカラオケ大会的なものがあったような気がするのと、避難訓練に参加したのが妙に記憶に残っている。あと休憩時間にサーブされるヨーグルト)、他のインターンを交えて頻繁に松下先生と飲みに行っていたことやそこで話したことの記憶は残っていたりします。僕はよく、論文投稿(≠研究)というのは種目に合わせた明確な戦略性が求められるほとんどスポーツ、もしくはこの記事の公開日に合わせて言うわけではないですがお笑いの賞レースみたいなものだという言い方をするのですが(マヂラブのリベンジかっこよかったですね)、こういうアスリート的なプロフェッショナリズムは明らかにMSRAでのインターンをきっかけに身につけたもので、これを早い段階で学ぶことができたのは本当に重要だったと思います。今の自分が同業者からどう思われているのかはよくわかりませんが、自分は本来全く体育会系的なマインドを持たないゴリゴリの文化系なので、ここで研究者としての基礎体力を身につけていなければ、そして自分に意外とタフな側面があることに気付けていなければ、今とはだいぶ違うキャリアを歩んでいた可能性があります。

798芸術区も今ではすっかりジェントリフィケーションが進んでしまったと聞きますが、当時はまだ剥き出し感があった

一方で、当時の自分はインターン生活の中でも出来る限り研究から切り離した「私生活」というものを守ろうとしていた節があり、当時街中にあったDVDショップにやたらと寺山修司BOXが並んでいたこととか、変に北京のインディロックシーンに詳しくなったこととか、Shansui Recordsなどかろうじて以前から知っていた北京の電子音楽シーンの情報を手掛かりにクラブに行っていたこととか、当時から盛り上がっていた中国現代美術を積極的に追いかけていたこととか、そういうことだけはやたら鮮明に覚えていたりします。日本にいるとどうしても画一的に捉えてしまいがちな「中国の若者」の多様性を体験できたことは今教員として留学生に向き合う上でも重要な学びだったと思いますし、世界のどこにでも自分と同じような趣味趣向をもって生きている人がいる、という事実は別に人生がどう転んでも世界のどこかに自分の居場所はあるんじゃないかと思わせてくれたという意味で強い心の支えになっている気がします。前段と矛盾するようなことを言っていますが、おそらくこういう形でアスリート的な研究身体能力とその上に乗る自我を切り離しつつ両立することに成功していることが、後の研究者人生において大きな糧になっているのもまた事実なのではないかと。今回意外とこういう話を書いている人は少ない気がしますが、せっかくの海外生活チャンスなので、研究所外の世界とも積極的に触れ合ってみることをおすすめします。

レドモンド滞在時、松下先生と

この2年後、博士過程を卒業した直後というイレギュラーなタイミングでMSR Redmondでもインターンを経験しているのですが、この時は研究成果という意味ではあまりうまく行かなかったし、反省点の方が多いのが正直なところだったりします。ただ、改めて自分の得意なことは何なのか、今後どういう戦略でキャリアを築いていくべきなのかに向き合うきっかけになったという意味で、これはこれでとても重要な経験だったと思います。他の人もけっこう書いてましたが、失敗や挫折から学ぶのも大事なのだと思います。この後、若干のくすぶりを抱えたままの生研特任助教期を経てのMPIIポスドクという転機、そしてドイツ滞在中に阪大に移った松下先生に声をかけてもらっての阪大准教授着任、からの東大生研、とお話は続いていくわけですが、それは今後の機会に譲るとして(ドイツの話は以前留学体験記に書いています)。こうやって思い返してみると自分は良くも悪くも流れに身を任せることが功を奏しているパターンが多いのですが、やはり最初のMSRAインターンがその後の人生にとって大きな転機になっているのは間違いなく、特に松下先生には感謝しかありません。

シアトルも当然ながらカルチャーは豊富な都市なのですが、北京に比べるとアクセスがあまりよくないのでそこまで頻繁には行っていなかった(それが悪かったんだろうか)

研究者として生きること、もしくは研究というメタスキルを身に付けること、の一番の魅力は、時代的・地域的なしがらみから自由な個として思考できることにあると思っています。もちろん、研究を仕事として成立させるためにはアスリート的な研究体力を身に付けることがまず最低条件で、その上でさらに研究者としての個性と哲学を提示することを求められる、のが難しいところで、正直僕自身まだまだこれが両立できている自信はありません。そう考えると、自分が博士学生だった頃は今と比べるとまだギリギリ牧歌的な時代だったというか、日本にいると良くも悪くもマイペースに/自由に思考することはできるけれど、世界にそれを届けるには体力が全く追いつかない、というのが実情に近かった気がします。一方、これは自戒を込めて言いますが、情報分野においてトップカンファレンスの競技性が増して各分野で「採択されやすい研究のテンプレート」が確立し、しかもSNSで近しい人と過剰に繋がってしまっている今の私たちにとって、コミュニティの規範から逃れて自由に思考することの方がむしろ難しくなりつつある。今の学生にとっては、本来手段であったはずの研究体力獲得が目的化して見えてしまっているのではないかと(そして、体力の無い者は去れ、という無言のピアプレッシャーに必要以上に晒されてしまっているのではないかと)思ってしまうこともあります。

レドモンド/シアトル最終日にたまたまレインボーパレードをやっているのに出くわして妙に感動してしまった思い出(これはスパゲッティ・モンスター

インターンとして長期海外生活を経験するのは、研究の基礎体力を身に付ける意味でも、多様で自由な考え方や生き方を研究所外から学ぶ上でも、とても良いきっかけになります。こういうこと言うと怒られるかもしれませんが、「トップ研究者の仲間入りをするためにはMSRなどの海外インターンに参加して成功しなければならない」というような一面的な考え方に毒される必要は全然無くて、自分に足りないものを学ぶ一つの機会として利用するぐらいの気持ちで気軽に応募・参加してみるのが良いのではないかと個人的には思っています。そういう意味では、過去の自分のように自分には関係のないことだ、と思っているようなマイペースな学生にこそMSRにチャレンジしてみて欲しいですし、海外インターン情報を必死に追いかけているような意識の高い学生がもしこれを読んでいるとしたら、逆に人とはちょっと違うことをしてみる方がいいんじゃないかと思ったりはします。インターンが成功しようがしまいが、論文がトップカンファレンスに採択されようがされまいが、どんな形であれ研究という営みと人生は否応なしに続いていく訳ですが、狭いコミュニティから一歩外に出てみることは少なくとも必ず、今後の人生にとってはプラスに働くはずです。

去年日本でも劇場公開されていた4時間ある中国映画。これもまた、狭い世界から外に出ようとする話だったりする
北京と東京のラッパーのコラボレーション作

最後は特に脈絡なく、最近気になった/良かったチャイニーズカルチャー情報を紹介して終わります。菅野研ではどちらかというと体力自慢よりもマイペースで個性的な学生を歓迎しますのでよろしくお願いします。

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